今、ネットでも日記などのテキスト系サイトは山程あるが、
1960年代に書かれた高野悦子の文章や詩は、
その中でも特に高いレベルの位置だろう。
ただし、1960年代の学生運動の時代のもののためか、
世間に対する闘争という意識というのが、現在読むと特異な感じ。
しかし自殺は否定しないが、方法が鉄道自殺はやめようよ
(というか実行して亡くなってしまっているが)というのが、
年譜を読んで思ってしまった。
自殺しなかった高野悦子みたいな大学生活を送った
彼女と同世代の女性たちは、平凡な生活を送っているのだろうか。