百鬼園日記帖 内田百間集成20

内田百間 ちくま文庫

※正確な字は出ないので「間」で表記します。

大正6年~11年にかけての日記。

凡例に拾い読みするな、と書いてあるので、

一応ちゃんと読んでみた。

むにゃむにゃでむにゃだった……てなんだろう。

むにゃむにゃという記述が何度も出てくるが、

文章の前後から察するに悪口の箇所みたいだ。

伏せるとかえって気になるではないか。

おぼえがき。

・気分的には40歳くらいの日記と思いきや、

 30代の日記だった。

大正6年時には数え年29歳。

百鬼園先生は、漱石全集の編集・校正の他に

 複数の学校のドイツ語講師を受け持っていた。

・なのに常に借金に追われていた。

・電気も止められたという記述あり。

・でも、子供は幼稚園や私立小学校に通わせていた。

・なおかつ、女中、書生まで家にいたみたいだ。

・現代と昔の経済感覚てずいぶん違うなあ。

百鬼園先生は当時牛込在住なので、周辺地理の話がでてくる。

・よく出てくる萬世橋駅は、秋葉原駅ができる前に萬世橋近くに

 あった駅らしい。