※正確な字は出ないので「間」で表記します。
大正6年~11年にかけての日記。
凡例に拾い読みするな、と書いてあるので、
一応ちゃんと読んでみた。
むにゃむにゃでむにゃだった……てなんだろう。
むにゃむにゃという記述が何度も出てくるが、
文章の前後から察するに悪口の箇所みたいだ。
伏せるとかえって気になるではないか。
おぼえがき。
・気分的には40歳くらいの日記と思いきや、
30代の日記だった。
・大正6年時には数え年29歳。
複数の学校のドイツ語講師を受け持っていた。
・なのに常に借金に追われていた。
・電気も止められたという記述あり。
・でも、子供は幼稚園や私立小学校に通わせていた。
・なおかつ、女中、書生まで家にいたみたいだ。
・現代と昔の経済感覚てずいぶん違うなあ。
・百鬼園先生は当時牛込在住なので、周辺地理の話がでてくる。
・よく出てくる萬世橋駅は、秋葉原駅ができる前に萬世橋近くに
あった駅らしい。